スキー中毒の部屋

小回り君はただ今「フカセでチヌ! チヌ(クロダイ)のウキフカセ釣り」で活動中です。ゲレンデに雪が有る時以外は、チヌ釣りをして養殖業に勤しんでいます。

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スキー中毒の部屋中毒日記インデックス > 2003年12月の日記

2003年12月の滑走日記

2003年12月26日(金)手術後~31日(水)

ボルトイン! さて、麻酔からさめるとまだ手術台の上でした。

ボーっとした意識の中、一番最初に感じたのは「寒い」・・・

どうやら手術中、体温を下げていたらしく、「寒い、寒い」をうわごとのように連発する私。

搬送中の先生が、「小回り君、ここにちゃんとボルト入っているからね」とレントゲン写真を見せてくれましたが、何でもうろうとしている意識の中、そんな大事なものを見せるのだろう?こっちはほとんど分からんのだぞ。

寒さが収まると次は、拒絶反応から高熱が出てきました。何か肺炎のように体が火照っているのに汗も出ない。でも関節、背骨は鬼のように痛い。

手術部分よりも背骨が痛く、それでその後は10分寝ては10分起きる・・・1分が永遠に感じられるぐらい長ーい夜を過ごしました。

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さて、夜は明けて27日。

通常食も始まりましたが、全く食欲がありません。そりゃ、いきなり焼いていない食パンとマーガリンの食事はなかなか厳しいものがありますが、何とか食べましたよ。

痛み止めの内服薬と、抗生物質の点滴が始まります。手術前から、栄養分の点滴はしていたので、その管に追加で抗生物質を流し込みます。

お下品な表現ですが、「そういえばションベンしたいナァ・・・」・・・そうなんです。尿管カテーテルをしていたので勝手に溜まっていっていたのですが、何だかというか全くすっきり感がありません。そのほかには手術後の溜まった血液を抜くドレンパイプが膝から出ています。

手、股間、膝と3箇所からパイプが出ている私。車椅子も置いてありますが全く動く気が起きません。

ボーっとしているうちに、昼飯が終わり、一番最初になくなったのは尿管カテーテルです。
これがまた「小回り君、それでははずしますからね~~」とにこやかに笑う悪魔の看護婦さん・・・
「痛いらしいですからがんばってくださいね~~」
「・・・はい」

「☆※=~?>}%$#!!!」・・・言葉にならない痛さです。取れた後も異物感が残ります。

その後すぐに点滴も外れ、ドレンパイプも外れました。が、動く気は全く起きません・・・

ニーブレスしかしながら動かなくてはならない時が・・・そう、生理現象・・・

と言うことは車椅子に乗らなければならないのですが、片足がニーブレース?と呼ばれるスポンジの装具で固定されています。ですから右足の下に板を敷いて、その上に座るようになっています。

車椅子に移動するときも、「何、これ、錘でも入っているのか」と思うぐらい重かったのですが、写真でも分かるように指で簡単にもてるぐらい軽いものなんです。と言うことはそれだけ下肢の機能が麻痺して重く感じられた訳ですわ。

そして、特殊便所と呼ばれる車椅子の人用の便所の中でもかなり特殊なトイレで用を足すことに・・・小だったけどすごく怖かった。その日のうちには通常の手すり付き小便器で出来るようになりましたが・・・

まさか人生の中で車椅子のお世話になるとは思わなかった・・・

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その後はずっとボーっとテレビを見ては点滴を受ける毎日。年末にもなると私の隣の人は退院、残りの相部屋の人もみんな自宅に外泊・・・私一人で4人部屋独占して紅白を見ていましたが、何やら隣の個室が騒々しい・・・

そうそう、骨折した場所は分かっていましたが、正式な名称を聞いてなかったので看護婦さんに効いてみました。すると、15分ぐらいして「右脛骨高原骨折です。脛骨の皿の出っ張った部分を高原と言うのですよ。」と教えてくれました。

余談・・・禁煙できるかと思ったのですがなぜだか上着の中にタバコが入っていた・・・(^^ゞ

2003年12月23日(火)~26日(金)手術前まで

さて、帰ってきた次の日(23日)もあんまり様子が変わらない・・・何だか熱っぽい。ボーっと一日を過ごす。

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24日、余りにも痛いので近くの外科に行って診てもらうことにしました。

ワシ「スキーでやりました」
先生「雪有ったのか。どこ?」
ワシ「八方です」
先生「エラく膨れてるナァ。吸い出してみるから・・・(デカイ注射器を取り出し、膝にブスリ)・・・あ、こりゃダメだ」
ワシ「何がデスか?」
先生「これ見てみ・・・50mlも出血している。これは靭帯が切れているか骨が折れているかのどっちかだ」
ワシ「・・・(血の気が引く)」
先生「紹介状書くから、大阪労災病院行ってきな」
ワシ「はい・・・」

一人でてくてく歩き、車に乗り込む私。「折れてたら歩けないだろうが」・・・ブツブツ。

大阪労災病院にて・・・この日はとてもたくさんの人が怪我をなさっていて私は4時間待ちました。本日最後の診察です。

ワシ「スキーでひねりました」
先生「どれどれ・・・(膝を弄繰り回しながら)・・・かなり緩いね?」
ワシ「それは昔バイクでこけた時の後遺症です。」
先生「とりあえずレントゲンを撮ってきて・・・歩けるの?」
ワシ「ずっと歩いて車運転してますよ。」

レントゲンが出来上がって、呼ばれる前から「あ、折れてるナァ」と聞こえてはならない言葉が・・・

脛骨先生「折れてます。ここ。」
ワシ「歩いてますけど・・・」
先生「どっちにしろMRIが要る。撮ってきて。」

と言うことでまた違う病院にてMRI(磁気断層写真)を撮って貰って来た。自分で見てもさっぱり分からない。

この日はこれで完了。お休みなさい・・・血を抜かれたので結構楽。

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次の日(25日)、前日とは違う、この病院でのスポーツ整形外科の権威ある先生だった。またもや呼ばれる前から「折れてるのかよぉ・・・」・・・不安をあおる言葉です。

先生「骨折って、もうウチでは手術できないよぉ・・・」
ワシ「・・・(何も話せない)」
先生、頭をかきむしりながら電話を手にとり何やら相談開始・・・ 「緊急手術しなければならないのですが、スケジュールが詰まっていてできそうも無いんだよぉ。」
ワシ「(だからそれを患者に話してどうするの???)」

・・・しばらくして「○○さん、外傷との関係でオペキャンセルになりました」「よし、君、今日入院、明日昼手術ね。」

ワシ「へ?」
先生「忙しいけど、良かったよ。」
ワシ「・・・」

と言うことで急遽入院手術となりました・・・

結論を出した先生の話している姿は権威ある先生には思えません。すごく親しみやすい雰囲気です。
でも、熱意ある先生であるのは十分伝わってきたので安心して任せることにしました。

さて、どうやって入院生活を楽しく過ごすかを考え、家に帰ってパソコンとか持ってこようとしても「すぐ終わるからCT撮ってきて」とまた検査。どこがすぐなんだよ、1時間もかかったじゃないか!

かわゆい担当看護婦さんに
「毛、そりますよん(ニコニコ)」と言われ、
「毛ですか・・・(この子、かわいい顔してるけどやっぱり看護婦だ。顔色一つ変えない)」、 と思ったら・・・足の毛だけだった(早とちり)。

全てが終わって婦長さんに「6時には戻ります」と外出許可を申し出るが・・・
婦長 「それでは困ります」
ワシ 「(それではって、いま一番混んでる時間だぞ)・・・5時半でイイですか?」
婦長 「よし、走れ!」
ワシ 「ぇ?(折れてるんですけど)」

と言うことで走りましたがな・・・本気で。

急いで風呂に入り、適当にモノもって、戻ってきたら睡眠薬が用意されていました。飲まなくても寝れるって・・・

明日の手術で考えられる障害なども説明され、同意書にサインをしました。そこまで脅かさなくてもぉ・・・
「若いから、多分大丈夫です。」

病院と言うのは暑いもんなんですね。Tシャツ一枚でずっと過ごせます。

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さて、手術当日(26日)。

朝から担当の看護婦さんが見当たらない。ちっ。

ま、それはおいといて、睡眠薬のせいか、はたまた骨折部からの発熱か?ボーっとしています。おまけに絶食絶飲だから、隣のベッドから流れてくるカップ焼きそばの匂いにクラクラー・・・なんでそんなもの喰えるんだ?

あっという間にオペの時間10分前になりました。ここでやっと親族登場。

車椅子に乗せられ、ドナドナと言うか、まな板の上の鯉(←今回はこっちがまさにぴったり)状態で手術室まで向かいます。途中で手術用の服を着ている私を見て「がんばれ」と言ってくれた見知らぬ彼の優しさに感動しながら、あっという間に麻酔でグー。

まじですよ。麻酔ってもっとゆっくり、5分ぐらいで効くのかと思いきや「はーい、今から麻酔しますよーー」の声がしたときから1回瞬きしただけで落ちました。落ちる直前の景色はかなりとぐろを巻いて歪んでいました。

これからどうなるのか?などと思う暇も全くないままに。

2003年12月20日(土)~22日(月)
長野県 白馬岩岳、白馬コルティーナ、白馬八方尾根

お題・・・痛すぎる自爆

長い休眠を経て、やっと戻ってまいりました白銀の白馬。

一時はどうなることかと思うぐらい雪が降りませんでしたが、行く途中からすごい雪で、ゲレンデは喜んでいたようですが・・・

また、ニューマテリアルの初使用ということもあり、楽しみにして出かけましたが・・・

なぜ逆接の言葉ばかりかというと、後でわかります。悲しい。

12月20日(土)
白馬岩岳
天候:猛吹雪

さてさて、やっつけで用事を何とか片付け、今回連れて行ってもらうM夫妻の家へと向かう。約束の11時にぎりぎりで到着し、一路名神へ。

天気予報は大荒れ、名神&中央の道路掲示板もチェーン規制か通行止めしかない。一番キーポイントは小牧~多治見が通行止めという情報と、「19号が動かな~~い」と仲間のYokさんからの電話で、せっかく養老まで行ったのに米原から北陸道に入るようにしましたが・・・これが大失敗で木之本のチェーンチェックで2時間半もロスしてしまいました。

結局、オールスノードライブの悲劇も追加され、予定より5時間遅れの10時にAcousticに到着しました。当然Yokさんも藤井さんを始めまんぼうズは全員到着していました。ちっ・・・

岩岳白馬村も当然の事ながら猛吹雪ですぐにホワイトアウトしてしまいます。その天候が回復しないままオープン初日の岩岳に向かいました。

リフト券が26日まで\2,500でお得なのは良かった・・・

ゴンドラに乗り込み、上に向かうけれども、天候は全く持って変わらず、ほとんど視界なしの状態のままです。

さて、期待に胸を膨らませての初滑り。愛機UNITY-M(イチゴちゃん)はどんな感じかな?

ガスってますおっと、これはフリースキーイングでは無くて、講習だった。危ない危ない。

さて、全く視界が無い中で、講習が始まります。時折、直径2ミリぐらいの雪の塊がたたきつけるように降り、ホワイトアウトします。

まずはプルーク。エッジを立てずにスキーの前後差のみで回転弧を描く奴です。当然、Vにならず平行になる人続出で「いいか、Vだぞ。分かってんのか?何でそんな事ができないんだよぉ・・・」とオーナーは嘆きます。教える側と教わる側と両方体験しているのでオーナーのこの気持ちはよく分かります。

その後は、トップアンドテールコントロールのプルークへと発展していきますが、以前なら大回りのリズムからやっていた講習が、小回りから始まったのが大きく変わった点だナァと本人は大真面目で講習を受けています。(できていなくてオーナーは壊れた笑いを連発していましたが・・・)

だんだんとオーナーがいつものように、「バカ、何でVにできないんだ」とか調子も出てきました。(謎)
リフト2本乗ったぐらいで吹雪きもさらにきつくなり、レストハウスで昼食になりましたが、私だけさらに1本滑って見ました。

見事なニューマテリアルの嵐イチゴちゃんは、とても素直な板です。決して自分から「こっちに曲がるんだ」と我を張ることがありません。乗り手の動きに忠実に反応するので、変な動きをするとiC300とは違った感じで乗り手にインフォメーションを返してくれます。
また、これはオガサカの板全てに共通する特性なのか、スキッド系のエッジングのときは今までの板と同じように角付けすればいいのですが、いざカービング系のエッジングにしようとするとかなり角付けしなければならないような感じがします。
まあ、これは今までの板がカービング特性が強く、普通のエッジングでもカービングもどきになっていたのではないかと思われます。
この日に分かったのはこの辺まで・・・やっぱり爆弾の腰痛も再発しちゃったし・・・

さて、急に雪が降ってレストハウスも全く準備ができていなかったらしく、カレーぐらいしかメニューがありません。まあそれは良いとして、レストハウスの外は雪が下から上に舞い上がって視界ゼロの状態が続いています。

まったりと飯を食い、第2ラウンド開始・・・のはずが、立っていられない強風と、雷が近かったので急遽撤収することになりました。

降りていくときも講習。プルークショートから普通のショートへと変化していくのですが、さすがにロングターンすらほとんどやっていない体では雪面抵抗の捉え方がいまいち分かっていないのに加え、リズム感ゼロなのでまったく訳の分からない踊りをやっているようでした。「自分でリズムを作るんだよ」「はい・・・」

まぁ、シーズン最初なので高度な技はできなくて当たり前、せめてプルークぐらいまともにできないとオーナーが本気で怒っちゃう・・・とは思いませんでしたが、昨シーズンに少しずつ分かってきたキャスターターンの感覚を思い出しながら与えられた課題に対して最も適したキャスターの動きをイメージしながら滑ってみました。

自分では出来たと思ってもオーナーは何も言ってくれません。ま、何も言わずに笑ってなければ及第点だと理解しています。

最後に一番下でパラレル大回り、無理にずらさなくても綺麗に曲がるイチゴちゃんは体が落ちる方向を教えてくれます。自分では試行錯誤の滑りでしたが「やっぱり上手いよね」と藤井さんに褒められうれしかったです。

Acousticに戻り、温泉の準備をしてさあ行くぞ!となったとき、こうなってしまいました。

普通の牽引ロープで4輪駆動車を使って引っ張り出そうとしましたが、相手も2トンあって全く動く気配がありません。無理したら耐荷重4トンのケーブルが切れました。諦めてJAFのお世話になることに・・・

動きません
Acousticの通路の横は50cmほど落ち込んでいます。そこにすっぽり。

持ち上がった
JAFのレッカーがまず右前方を持ち上げ、少しずらします。

ひっかけました
次に左サイドにフックを掛け、レッカーで引きずり出します。

引きずり出しました
出てきました。さすがに本物のパワーはすごい。

熊、凍えるの図
すごく寒いの図。

ということで、温泉にも行けず、降り続ける雪に翻弄された一日でした。ほとんど滑ってないよ・・・

12月21日(日)
白馬コルティーナ
天候:晴れ

コルティーナ昨日の吹雪が全くのウソのような快晴。みんなやる気マンマンですが、一人腰痛が爆発寸前の私だけあまり乗り気ではない・・・

岩岳、八方はリフトが限られている。栂池も白樺だけ、チャンピオンは滑れないので没。

白馬乗鞍は全くと言って良いほどリフトが動いていないのでこれもボツ。最後に残ったのがコルティーナで、上のリフトが動いていることに期待をかけました。

いい感じコルティーナに到着すると、おお、動いているではないですかぁ!左の壁は滑れそう、というか滑っている人が居ます。

さて、パウダーが食べれると知れば、「コルティーナ」とラテン系のノリで(イミフメイ)いきなり42度のカベに行くことになり、とっても不安です。

オーナーも講習そっちのけでパウダー食いを堪能していたようで、私も何とか窒息しないように慎重に降りてみました。

やっぱ、体が滑り方を忘れているようで、少し重めの雪なのに目一杯小回りのリズムを刻もうとして破綻します。そのせいで、かなり体力が消耗したので、思い切って縦長の大き目のターンをすると意外と楽に降りれました。

42度のカベここでもUNITY-Mは楽に操ることが出来ました。うんうん、いい感じです。撓み感が非常に良く伝わってくるので、外スキーが回転し始めて潜り始めたときに内スキーに荷重してやるといったことが意外と簡単に出来ました。ホントは両足でやればいいんでしょうけど・・・

ヘロヘロになって下に辿り着き、さて、天気も雪も全く問題ないので昨日の講習の続きです・・・が、またまたいきなり山頂の急斜面でのロングターン、安全編と攻撃編で撃沈「全然ダメ」・・・なかなか拇指球に乗れないです。

さらに、下の緩斜面でカービング要素のターン。

一発目・・・「拇指球に乗ってない。」 はい。その通り。

2発目・・・「それは上でやるエッジング。ここは緩いのだからそれなりの動きをしなさい。」ときつーい一発。見ていたE君も「小回り君と、先輩はどこでも同じ体の動きだけどそれって合ってるの」と見抜かれてしまった・・・

3発目・・・それなりの動きとはどういうことか?うーん、よく分からないのでとりあえず、ターン導入で大きく落差をとり、ターン後半に荷重を集中し、板を走らせるようにした・・・ら、OKが出た。「そうだ。」

こうやって、オーナーの言うことの意味を理解できるようになったということは少しは成長した?一発でできないのがかなり問題かもしれません。

その後、オーナーはM夫妻のコーチングのために私たちの班と分かれました。またまた山頂から急斜面に向かうのですが、ショートターンで腰が痛くてなかなかひねりが使えません。

恐る恐る降りていると、まわりから、「ずるいぞ」とか「卑怯だ」とか「手抜き」など聞こえてきますが、気にしません。いつものことですから・・・

そのまま下まで下って、私は腰がご臨終となったので、撮影班としてカメラを回しました。

じっくりと私たちのメンバーの滑りを第3者的に見たことが無かったのですが、遥か彼方リフト降り場からの斜面でも分かるぐらい、目立ちます。速いです、かなり・・・

私はリフト3本で昼食、バイキングでしたがこっちも準備が追いつかなかったようで、メニューが限られていました。まぁ、それでも食べきれないぐらいの種類はありました。

昼食後も、講習は続く。急斜面で3段階ターン(立つ、導入、エッジング)を明確に見せろとの指令ですが、「そんなことしたら死ぬー」と叫びながらロングターンで降りてみたら、これがまた意外といけるもんなんですね。早く切り返そうとがんばらず、立つ動作をしっかり入れても十分滑れました。それにターン後半へのエッジングの調整もやりやすかったです。

それはそれで「ふーん」とか感心していましたが、次のベンディングでまたもや「どうしてそんなにビビッちゃうんだよぉ~~」と元に戻るの図・・・

ここで、イチゴちゃんはハイスピードで切るにはそれなりの体の使い方、内傾角がかなり要るような感じがしました。今までの板なら勝手に切れていたのが全く切れないのでもっと切れるような体の使い方を覚える必要性を感じました。

その後は、ほぼフリーとなり、ロングやショートを織り交ぜながらいろいろとやってみました。本人はそれなりにまともかナァなどと思ってYokさんに聞いてみました・・・が、「頭だけ動いて下は全く動いてないよ」との一言で・・・屍

一応、オーナーと私でM夫妻のコーチをしていたので、撮影をかねてM夫妻の元へ・・・ミカさんは見つかりましたがダンナが見つかりません。どうやらオーナーに講習を受けていた模様。

ミカさんは自然な感じでプルークが出来てきたので、「じゃあ、ちょっとプルークでスピードを出して切っていきましょう」とほんの少しだけ切りながらズリズリとゲレンデを蛇行してみた。・・・けど「ダメー」と3ターンでギブアップ。うーん、そんなに速くないぞ。こっちも目一杯ゆっくりやっているのに・・・どうやら完全に足がご臨終して力が入らない様子。

仕方ないので違うことをやってみようかと・・・さて、体力の限界に来た人に何をコーチすべきか???

そうだ、こういう緩斜面で空いているときは、レールターンの練習だ!と思いつき、山周りのみのサイドカーブターンの練習をすることにしました。

お約束どおり、自分から迎え角を作ってレールになかなかなりません。でも、「ズレている感覚は分かる」と言っていたのでそれが分かればズレないようになるのも時間の問題かと思いました。

最後、オーナーと合流したときはシュテムターンに進化していました。「いきなりはできないよぉ」とか思いながらもここはやっぱりイチゴちゃん、すごく簡単にこなしてくれます。

後はゲレンデ暴走6人トレイン、トレインは自分でラインをトレースしようとすると遅れるので直前の人の動きをそのまま真似すれば簡単だとも気づきました。今頃分かるなよナァ・・・

で、帰りに若栗の湯に入り、さっぱりしてAcousticに戻ってまったりとした時間を過ごす。これが良いんだよナァ・・・久々に時間に追われないプライベートタイムを堪能できました。

12月22日(月)
白馬八方尾根
天候:くもり時々晴れ

アコースティックからの眺め続きは明日とか言いながら、実は病院のベッドの上で書いてます(涙)

この日も快晴で、まんぼうズの舌の動き、じゃ無くて体の動きも絶好調だったようなので全員一致で八方尾根に決定しました。

八方に着き、リフトに乗ると、スカイライン、黒菱、兎平辺りが竜巻ってます。

急遽、ベースキャンプ(?)を、白樺に移すこととなり、リーゼンを暴走してみることとなりました。

3日目ともなると体の切れもそこそこ良く、ショート、ロングとも暴走することなく(オーナーには「安全すぎる」と言われましたが・・・)、白樺まで辿り着きました。

ここでもイチゴちゃんのコントロール性の高さが発揮され、ターン前半のズレコントロールが意のままに行えるし、ターン後半も自分から切る動きをしなければズレていくので、重心がビシッと落ちていきます。

「さあ、ここではみんな目一杯行ってもらうよ!」がお題目だったので、ちょっと踏ん張ってみたけど「ダメ」

それではと言うことでかなり落差をとり、目一杯縦にエッジを使って滑った最後のターンのとき・・・

まわりには単独爆破のように見えたらしいですが、スノーボーダーの後ろから衝突してしまいました。ボーっと、「オーナーが・・・あそこだな」と視線をそらした隙にボーダー君が私のラインに重なったのです。

ボーダーの彼は雪まみれになりながら必死に謝っていましたが、どう考えても悪いのは私。

彼に怪我が無かったのでほっとしたところ私の膝が今までに味わったことが無いぐらい、痛み出しました。

「う゛~~~」と、口から血を出しながら雪面をのたうちまわっていました。

まんぼうズの面々からは「大げさ」「滑れるだろ」などととても温かいお言葉をいただきましたが、今回ばかりは、全くそんなこともできそうもありません。はっきり言って痛いです。

さて、V爆破のYokさんがコーヒーを買ってきてくれてしばらくは雪の上でじっとしていましたが、爆破から復活したYokさんも含め、私を雪の上に放置して皆さんはゴンドラで上っていきました。

レストハウスでコーヒーでも・・・と思ったのですが間近のレストハウスは「ノーノー、ランチオンリィ」と外国の人にシャットダウン。誰も客居ないのにコーヒーぐらいいいじゃんとか思いましたがそれよりも痛くてたまらなかったので仕方なくラーメンを食する羽目に・・・八方、殿様商売嫌い。

ラーメンを食し終わったぐらいに皆が戻ってきたので急いで外に出ると「何食ってたんだ」「卑怯だぞ」「自分だけ食うな」とまたまたとても温かい言葉のマシンガン攻撃をいただき、感謝感激雨あられ(イミフメイ)

私は「滑りますよん!」と強がってみましたが「足震えてるやん」「本気で痛そうだな」と少し風向きが変わってきました。ということで全員がランチへ・・・私はコーヒー・・・

じっとしているとさして痛くないですが、トイレが2階だったのでまさに命がけ。靴ならまだしもスキーブーツだったので本気で死ぬ思いをしながらトイレに行きました。

みんな美味そうに定食を食っていますが、「御飯硬い」らしい。おまけに劇遅!ここも殿様八方だわ・・・

とりあえずそこで迎えが来るまで耐えて、Acousticに送ってもらい、荷物をまとめて足の死んだM夫妻とともに後ろ髪を引かれながら白馬を後にしました。

M夫妻の家から白馬エクスプレスなんでこんなときにマニュアルなんだよー(泣き)アコード号を恐る恐る運転しながら何とか・・・家に着いたけれどもそこから動けず・・・

と、えらく中途半端ですがスキー日記はここまで。

帰る途中にオーナーから

今回は残念だったけど、スキーの丁寧さは良かったです。フォームも癖が取れ、良いライン取りでコース取りも良し!」とメールをもらったのが、もしかしたら今シーズン最初で最後の評価となるかも・・・

2003年12月6日(土)

みなさま、どうもお久しぶりです。

ちゃんと生きていましたよ、へへ。

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しかし本当に雪降らないですねぇ・・・

今日も大阪の最高気温が18度と10月並みでした。

どうも雪の便りが無いのでテンションが上がりませんし、身辺がバタバタしてしまってなかなか考えの整理が付きません。

04UNITY-Mウェア
オガサカ UNITY-M(04モデル)とデサントCMPシリーズ(これは03モデルです)

とりあえず、今季導入のニューマテリアルとウェアです。このセットで滑っている腰の悪そうな貧弱なスキーヤーが私です(笑

これから、またボツボツと独り言を書いていきますのでよろしくお願いします。

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