スキー中毒の部屋

小回り君はただ今「フカセでチヌ! チヌ(クロダイ)のウキフカセ釣り」で活動中です。ゲレンデに雪が有る時以外は、チヌ釣りをして養殖業に勤しんでいます。

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スキー中毒の部屋中毒日記インデックス > 2004年1月の日記

2004年1月の滑走日記

2004年1月19日(月)~31日(土)

白い巨塔右の写真は毎週木曜日に行われる部長回診の模様です。まさにテレビドラマのようにお医者さんが一杯で、中央が偉ーい部長さんですが名前も分かりません。右ではお隣のUさんのMRIを私の担当でもある後藤先生と夏梅先生が見て「何で伸びないのでしょうか?」と思っているのかは定かではないですが、何か相談しています。

部長さんの診察時間はおよそ15秒。毎回一言だけですがこれで本当にいいのでしょうか???謎だ。

マシントレーニングエリア

スポーツ整形外科の部長さん、堀部先生曰く、「ここのリハビリ施設は西日本一」らしいです。

確かにかなりの設備で、治療用のベッドもたくさんあり、水中歩行用のプールもあります。特筆すべきは写真のようにマットレスを敷き詰めたエリアがあることです。この場所を使って、前十字靭帯断裂、半月版損傷など膝周りの障害を持った人がここで筋肉トレーニングに励んでいます。写真を撮ったときは朝早かったので誰も居ませんが通常午前中は若いエネルギーに満ちた空間となります。現役の女子高生も居ましたよん・・・

本物のスポーツ選手の中でなんちゃってスキーヤーの私が同じようなメニューをこなす・・・どれだけ厳しいことか分かりますか?ちなみにリハビリしていた人は、山口で社会人サッカーをやっていて前十字断裂3回目の人とか、ハンドボール奈良県代表とか、本物ばかりです。皆さん肉体トレーニング系のメニューは軽々とこなしていきます、が、曲げるとなるとかなり辛そうです。

ただし、私は靭帯断裂などと違って、筋力のみならず骨にも荷重制限があるのでマスキュレーターと呼ばれる筋力測定器による最大筋力維持のトレーニング、かなり膝関節が柔らかいので関節稼動域の確保のためのトレーニングはありません。それ以外は似たようなトレーニングメニューです。

パンダボールこれがパンダボールを使った足上げ運動(前回はレッグレイズと書きましたが違う運動のようなので・・・)

なぜパンダボールといわれているかというと、パンダのプリントがしてあるから・・・・同じ大きさのミニバスケットボールもあります。

挟み込んだまま50回。ニーブレースを外したばかりの足には堪えました。

バイオフィードバックバイオフィードバックと呼ばれる装置による内側広筋のトレーニング。

筋電計の電極を膝頭と、測定したい筋肉の付近(この場合は内側広筋の近く)に貼り付けて、感度、目標値をセットし、目標値クリアーの状態を10秒間維持します。これを10分間繰り返します。

これが最初はどうやっても針が動きませんでしたが、2週間もやれば自由自在になりました。

Uさん悲鳴の図お隣のUさん、12月半ばに右膝半月版損傷をして、年末に別の病院でロック解除手術後、縫合のために大阪労災病院に転院してきた経歴から、固定期間が長く、かなり筋肉、関節とも硬くなり稼動域が狭くなってしまっています。

写真は医学療法士(PT)による施術模様です。稼動域の確保のために曲げていますが、写真では悲鳴は伝わらないのが残念。

本当に痛いのですよ。マジで。

私の巣1ヶ月以上過ごした私の巣。プレステ2あり、液晶テレビあり、調味料、パソコン、本、雑誌、お菓子、インスタントラーメン、コーヒー、ジュースなどが手を伸ばすと届く範囲にすべておいてあるので全く不自由は感じません。

看護婦さんや、他の入院患者さんからも

「ハイテクですねぇ」
「液晶いいですねぇ」
「何でもありますねぇ」

ここまではいいのですが

「生活感がありますねぇ 」
「住んでるのですか?」
「そういえば大学の下宿ってこんな感じだったよな」

などと、よく分からないコメントのほうが多かったのも事実。

ちなみにこの液晶テレビ、もともと台所用として液晶テレビを購入予定だったものを繰上げで購入したものです。入院生活専用だ買ったものでは有りません、念のため。

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19日からも前週のメニューを引き続きこなし続ける私。腹筋と内側広筋の強化は自分でもよく分かるぐらい効果がでています。

1月23日(金)

とうとう、荷重をかける日がやってきました。2個の体重計を使い、両足バラバラに乗せます。
「では、この体重計で、20kgになるようにしてみてください。」
「はい。」

・・・はっきり言って怖いです。だいぶ重さを掛けたつもりでも15kgとか・・・

「・・・こんなもんですか?」
「では、その感覚を忘れないで歩いてみましょう!」

歩くと腕が・・・怖くて腕だけで支えています。

「次は踏み込みです。これも20kgになるように10回、3セット行ってください。」
「はい。(とやってみるが)・・・厳しいですね、これ・・・」

体の重さを身にしみて感じる私。と同時に弱りきった筋力に情けなさすら感じます。

「今日はその辺にしておきましょう。土日もトレーニングを忘れないでくださいね。(←鬼
それと、今日から松葉杖になりますと上(病棟)にも伝えておきますから・・・」

と、無事荷重開始となりました。

荷重開始となれば、お風呂も特浴室から通常の介護なしお風呂が使えます。これでほぼ毎日お風呂に入ることが出来るようになりました。

さて、うれしくて歩き回った反動として、上体は筋肉痛、膝は素晴らしく腫れあがってしまいました。(涙
次の日は松葉杖が前に出なくて躓くし、日曜日は体重測定のとき体重計から落ちたりして、いきなり全荷重をやってしまったり・・・「病院の中で怪我しないでくださいね」とまで言われる始末・・・ラーメンの汁を手の上にこぼして火傷もしたりしました(恥

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雪化粧そんなこんなのトラブルに見舞われながらもトイレやお風呂が何とかなることが分かったので、週明けの月曜日、担当の夏梅先生に
「週末退院したいのですが・・・」
「いいですよ。」
と、即OKをもらいました。 本来なら24日で退院する予定でしたが、松葉杖での生活に全く自信が無かったので1週間延長することにしていたのです。

さて、いざ退院すると決まると何だか元気になってきましたが、筋肉トレーニング(もはやリハビリの範疇を超えている)も、だんだんと負荷が増えてきて週中ごろには疲労のピークに達していました。

担当の医学療法士さんに
「すいません。かなりしんどいのですが・・・」
「じゃあ、今日は減らしますか?」
「・・・いや、あと2日なのでがんばります。」
「退院したら、2勤1休でやってくださいね。それぐらいが筋肉の成長を促します。」

と言うことは、かなりの高負荷の運動を5日間連続でずっとやっていたんだ・・・週末、動く気が出ないのも当然だったわけです。

でも、これぐらいのこと出来なきゃ社会復帰は不可能・・・肉体よりも心が病院に馴染んでいます。

少し寂しさを感じながら、自分の巣を分解し始めました。

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1月29日(木)

リハビリに行くと、

「トレーニングメニューを追加しましょう!」
「・・・はい。」

また増えました。(涙

今現在も続く、トレーニングメニューは

  1. パンダボール 50回
  2. セッティング(バイオフィードバック) 10分
  3. 腹筋 50回
  4. ねじり腹筋 50回
  5. パンダボール腹筋 50回
  6. 背筋 50回
  7. 対角線の足と手を上げる背筋 右足30回(左足は右ひざに負担がかかるのでなし)
  8. うつ伏せ状態での足の曲げ伸ばし 50回
  9. 横向きで足をやや後ろ側に上げる 両足30回ずつ
  10. 仰向けで足にウェイトをつけて上げる 右足100回
  11. 体重計での踏み込み 両足30回ずつ
  12. カベを使った腕立て伏せ 適量
  13. 歩行 適量
  14. 股関節周りのストレッチ 適量

たっぷり2時間コースです。お隣のUさん曰く、「真面目にやりすぎるからだよ」・・・中途半端にやったらもっと増やされそうですが・・・

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1月31日(土)

退院の日です。ウチは家族が母親だけで、仕事をしている関係上、土曜日の昼過ぎしか退院することが出来ません。ふつうは、朝9時とかに退院していくのですが、私だけ昼ごはんまで食べてボーっとしていました。

ベッド周りの備品を全て片付け、何も無くなった病室を見て、かなり寂しくなりました。男性なら分かると思いますが、秘密基地がなくなってしまったような感じです。

さて、病院を出るとそこはバリアーだらけの世界。病院の駐車場に続く道ですら舗装が斜めで歩きにくいです。

とりあえず、お風呂に入るための介護用の椅子を購入。これが無いと掴まるところが無いのでお風呂に入れません。これって意外と安いもんですね。この頃になると既に歩き疲れて大変です。

家の中に入るのも、段差だらけでこれまた大変。今度家をいじるときは絶対バリアフリーと誓いました。

退院祝いの食事は「ほかほか弁当」・・・焼肉弁当でした。これが塩辛くて・・・以前までは何とも思わなかったのにかなり薄味に慣れきってしまったようです。ビールは全然OKでしたけど・・・

お風呂はまぁ、何とかクリアー。でも、風呂場に椅子を用意してもらわないと服が脱げませんし、パンツも履けません。

久々に寝る自分の布団が何だか違う気がして、その日はなかなか寝付けませんでした。

2004年1月1日(木)~18日(日)

本日、スキー仲間のNJが岩岳にてお受験し、見事合格しました。
大回り71点、中回り72点、小回り整地70点、小回り不整地68点、総合滑降72点の合計353点で合格!おめでとう!

何だか私だけ置いてけぼりです ・・・分かっていたけど・・・

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2004年初日の出1月1日(木)
元旦

やることのない入院患者は、ちょっとした変化でも楽しもうとします。というわけで寒い中初日の出を捕えるために待つこと30分・・・

部屋に戻ると、おせちの配給がありました(涙

 

白味噌お雑煮チャリコ丸々一匹
左が朝、右が昼です。白味噌のお雑煮を始めて食べました。(^^ゞ
昼はマダイ(チャリコだね、サイズ的には)とエビ丸々1匹。後で聞いたら自宅より豪勢だと弟が嘆いていました。

その後も誰もいない部屋でゲームばかり・・・本を読む集中力がありません。

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1月5日(月)

人気の無かった病院も、仕事始めです。お隣にも新しい人が入ってきました。
とても話しやすい人で、喋りこんでいくと、どうやら私と同じ日に病院にやってきて、「君のケガは後でも手術できるから年明けになるよ・・・」と先生に言われていた人でした。要は私が追い出してしまった人の一人です。

次の日にちゃんと仕返しされてしまいましたけど・・・

Uさんは6日に手術で、半月板の縫合なのですが、手術後ってのは眠れません。夜中2時ごろ、うとうとした瞬間に、力が入ったらしく、いきなり「ギャー」と叫びました。私はびっくりしてベッドのパイプに頭をぶつけ、力を入れていない右足を思いっきり伸ばしてしまってこっちも「う~~、痛~い」・・・

その後何度か寝言で起こされましたが・・・

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1月8日(木)

前の日に抜糸・・・というか、今はホッチキスなんですねぇ・・・
専用の器具で、一つずつつまんで「グリ、グリ」と外していきます。聞いた話だと「痛くないよ」だったのですが、大嘘!注射針を刺すぐらいの痛みを16回、おまけに「身、えぐってるよぉ・・・」といった感じで痛いの何の。(涙
とった後もちくちく痛みます。

さて、朝からテレビドラマのような「部長回診」なるものがありました。様式はドラマそのもので部長さんに「右脛骨高原骨折、術後2週間です」と担当の先生が伝えるとレントゲンをチラッと見て、「ちゃんと直ってますよ」の一言だけ。およそ10秒です。ほんとにそれでいいのか?

抜糸が終わったのでお風呂に入れます。とはいえ、特浴室という寝たきりの人を入れるための風呂の部屋で、ポツリと椅子がおいてあってそこでシャワーです。

服を脱ぐのも一苦労、おまけに石鹸の泡が立たないぐらい汚れまくっています。油と塩は抜けましたが、垢が余計に浮かび上がってぼろぼろ落ちてきます。余計に汚くなった感じ・・・寒いよぉ・・・

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1月9日(金)

リハビリの開始です。リハビリ科で術後初めて膝の稼動域を測定しました。伸びるほうはそうでもないですが、曲げる時が問題でした。

「じゃあ、曲げますよ?曲げられますか?」
「はい・・・」

モソモソと自分で曲げてみます。ちょっとしか曲がっていませんがすごい痛みです。ある程度曲がったところで「あうー」 と悲鳴を上げてしまいました。自分の力ではもう戻せません。

「どうしました?」
「痛い!」
「どうしたら良いですか?」
「真っ直ぐ伸ばしてください」

と、自力は戻せない領域まで曲げて「72度」・・・椅子に座れる角度ではないですね。

リハビリセンター普通はこれで終わりなのですが、また間の悪いことに連休があるので、すぐに稼動域の確保をやることになりました。

担当は女の先生でした。

「それじゃあ、曲げますよ。」
「はい・・・」

しばらくするとすごい痛みがきました。
「う゛゛゛゛゛~~~」

どんな痛みかと言うと、千切れそうというのが一番的確かな?自分の筋力ではどうにもならないところを関節技でロックされています。

「痛そうですねぇ~」(悪魔
「痛いです。」

気を使っていろいろスキーのことを話しかけてくれますが、答えるだけの余裕がありません。さらに曲げ続けると、息が出来なくなってきました。

「ちょっと休みますか?」
「もげる~~~」

呼吸が落ち着く前にまた曲げ始めます。

「う~~~~」
「だんだん曲がっていますよぉ~~~」(鬼

5分ほど激痛に耐え、再度測定すると、「110度です。今日はこのぐらいにしておきましょう!」

と、自主トレメニューを与えられて開放となりました。

さて、その自主トレメニューの内容は、(またしても鬼

  1. 右膝屈伸 20回3セット
  2. 両足カフピング(足首の曲げ伸ばし) 100回
  3. 左膝屈曲位でのブリッジ(ハムストリング) 20回3セット
  4. セッティング(内側広筋?強化) 両足100回

と、今では簡単ですが、ニーブレースを外したばっかりで全く筋力の無い足にはかなり厳しいメニューです。屈伸がとても怖くて出来ません。

3連休の間、全部するのにおよそ2時間かかりました。本当に歩けるようになるまで筋力が回復するのかナァ・・・

ということでこの日で固定は取れました。ものすごく不安です。

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1月13日(月)

この日から本格的にリハビリ開始となります。がんばって曲げた甲斐があって、130度まで曲がるようになっていました。

先生に「私は明日からスキーに行ってきます。帰ったらもっと曲がっているようにしましょう。」とまで言われて曲げられなかったら情けなさ過ぎるので、がんばって曲げていたら曲がるようになっていました。どうやら横手山を滑ってきたようで・・・悔しすぎる。

さて、リハビリメニューが変わりました。腹筋強化と、 バイオフィードバックと呼ばれる筋電計がメインとなりました。ところが・・・出来ません。腹筋50回・・・ねじり腹筋50回、パンダボール(背中を浮かした状態で両手で持ったボールを体の左右につける)50回・・・完全に持ち上げなくてもおへそを見るぐらいでいいのですが・・・

CPMそれにレッグレイズ(椅子に座ってボールを腿にはさんで上げる)50回、背筋50回、右ひざ屈伸50回・・・泣きました。

この日は腹筋50回するのに2時間かかりました。で、この日はこれでおしまい。

次の日には2時間、その次には1時間で全メニューをこなせるようになりました。

それに追加してCPMという機械で稼動域の確保をしました。私は最初から110度も曲がっていたのでそれほど苦痛ではなかったのですが、ACL(前十字靭帯)断裂の人はかなり痛いようです。

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骨1月15日(木)

この日も朝から部長回診です。そのときカルテがベッドにおいてあったのでこっそり激写。

正面の映像で、ボルトの頭側が外側になります。うっすらと線が見えるのが割れてしまった部分、割れた線のボルトやや上側の少し濃いところが人工骨だそうです。

CPMも120度まで達したので本日で終了となりました。看護婦さん曰く、「痛がらないので面白くない」だって・・・悪魔だ。

この日のリハビリ検診の結果、次の日から上体筋力アップのメニューが追加になりました。これがまたきつくて今でも筋肉痛です。

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